クラシックの「表現者」になるハードルを、自分で高くしていませんか?
プロになりたいわけでなく、アマで、趣味でクラシック音楽の「表現者」になりたいって考えた時、「でもピアノの練習時間が...生楽器?電子?お金...ヴァイオリン?」...など色々考えてしまいがちですが、こういう時「演奏」だけに目がいって「歌唱」を候補に入れ忘れてる人が多い気がします。
プロではなくアマチュアで音楽活動をする場合、オペラハウスで響かせるように歌うのは近所迷惑とか考えると、集合住宅では難しいですけど、室内で歌うなら室内の声量で歌えばいい歌曲とかも色々あります。シューマンにシューベルト...。
ただ、クラシックを「聴く」時や、中高生の勉強盛りな頃は、言語的なところで候補から外してしまいがちです。
外国語を大人になってから勉強するのは音楽以外の点でも有意義です。もちろん学生でも意味あります。それでボイトレにたまに通い、歌ってクラシックの表現者になるのもよいと思います。
クラシックが好きで、自分でも音楽を奏でたいって思ってるのに、クラシック音楽の「表現者」側になることを楽器の値段や練習場所や時間を理由に諦めちゃうのはもったいないです。
歌もあるよっていう当たり前のことを忘れないように。